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zoom RSS 『紀氏は周王朝の子孫説』日根輝己説

<<   作成日時 : 2014/10/17 05:54   >>

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 日根輝己氏(和歌山県地方新聞協会会長)は、「紀氏は何処からやってきたのか」の調査結果として、「紀氏は周王朝の子孫説」を主張している。要点は、「紀氏は中国の古代国家・周(BC1100〜BC256)と、周の滅亡後分裂した国の多くを建てた姫氏の血をひく一族だろう。朝鮮南部の伽耶を経由して日本に渡来、九州中央部の佐賀県基山町附近や、熊本の菊池川流域を拠点に根を張り、西日本全域に勢力を広げた。南河内に進出したあと、紀州に居を移した。そして、紀の王国を作った。」である。
 「日根輝己氏の仮設は、東アジア全体を巻き込んだ人間の大移動を推測した壮大な仮説で、いまだかって誰も唱えたことがない新説だ。この部分はまだ考古学的な裏付けや文献上での直接的な証拠はないようだが、状況証拠としてはありえぬことではない。」と内倉武久氏(元朝日新聞記者)は説明している。日根輝己氏は証拠として4説を上げている。
@ 8世紀の好字令で地名が2字に改められたが、紀氏は頑として変えなかった。「キ」という氏族名に大変なプライドを持っていた。
A 『魏志倭人伝』に、「倭人は自ら大夫(たいふ)と名乗っていた。」とある。大夫とは周王朝の官位の一つである。
B 『魏志倭人伝』に、「呉の太伯の子孫と名乗った」とある。
太伯は周の大王の長男であり、呉の王家も姫姓を名乗っていた。
C 紀と姫は字は違うが、音は両方とも音はキである。
日根輝己氏は「古代の謎に挑戦すると、必ず紀氏と伽耶に突き当たり」と報告している。
日根輝己説に追記すれば、Bの太伯地名があるのは吉備国のみであり、朝鮮南部の伽耶を経由して吉備国に渡来である。

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