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草ケ部 大廻り小廻り山城の考察  古代山城名の推定  菊山城  迎賓館説

2014/08/12 19:02
平成26年5月9日 岡山プラザホテル 予告編にて講演  本番は来春予定です。 

HIRAKIN 環座の会 講演

先史古代研究会 丸谷憲二

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吉備国に4つの古代山城 備後の二つの山城の記録

2014/08/12 19:02
『続日本紀』養老3年(719)12月の条

「備後国安那郡の茨城(いばらき)、葦田郡の常城(つねき)を停む」。
719年での廃城記録。二つの山城の機能を完全に停止させたという記録。

廃止するということは、城を持って敵を防ぐという防御網を破棄したことを意味している。
狩野久説(岡山大学教授)

常城
 広島県芦品郡新市町大字常と府中市本山町にまたがる標高約500mの火呑山。

茨城
 福山市の北方、蔵王山と地主山に比定。
    豊元国(府中高校教諭)説 『奈良時代山城の研究』 1968年

備後の二城が『続日本紀』に記録され、備中・備前が記録されていない理由は、備後の重要性にあります。

@ 尾市1号古墳(新市町) 正八角形墳(対角長15m)
A 芦田川下流域(福山湾岸)に、「吉備品治国」と「吉備穴国」が6世紀後半に成立。
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古代吉備国の領域と特色

2014/08/12 19:02
律令制下

備前・美作・備中・備後・広島県の東半部をも含む範囲
中部瀬戸内圏域をすっぽり覆う範囲が吉備国である。

特色

@ 穀倉地帯           ⇒ 農業生産基盤   呉国からの渡来人
日本最古の水田⇒ 津島江道遺跡・百間川遺跡(3Kmに渡る弥生水田址) 

A 製塩土器(児島中心) ⇒ 塩作り      ⇒ 広く周辺地域にも供給

B 鉄鉱石による古代製鉄  ⇒ 製鉄技術      突厥国からの渡来人
   大蔵(おおぞう)池遺跡(最古の製鉄遺跡)    ⇒ 6世紀末〜7世紀初

C 三大河川による物流    ⇒ 流通交易の適地 
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吉備国に4つの古代山城 備中と備前の二つの山城の記録

2014/08/12 19:00
備前 大廻り小廻り山城

@ 築城目的の明確化

A 何故、草ケ部に築城されたのか。

B 誰が造ったのか。

C どうして歴史に記録されなかったのか。

特長

発掘調査で、城郭施設、建物、防御用遮蔽設備である柵、板壁等が全く検出されなかった。

⇒ 黄蕨国の迎賓館説。

@ 備中 鬼ノ城との比較検討

A 大和政権と吉備国の関係の明確化が必要。
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古代山城分布図

2014/08/12 18:59
古代山城数 29城 
  (山城サミット登録25城・史書に記録有13城・記録無16城)
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大廻り小廻り山城

2014/08/12 18:59
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築城した山の高さに注目

2014/08/12 18:58
築城した山の高さが備中 鬼ノ城と異なっている。

@ 山の高さは、防御の優劣と築城に関わる労力に関係してくる。

A 本来、瀬戸内の山城は、瀬戸内を進攻してくる軍船を見張り、威嚇する役目があった。

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シーレーン防衛説

2014/08/12 18:58
シーレーン防衛説
  朝鮮半島から博多へ来て、博多から瀬戸内海を通るシーレーン防衛の為、築城した。
   出宮徳尚説(就実大学)

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瀬戸内海沿岸域 古代山城要目一覧

2014/08/12 18:57
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瀬戸内海沿岸域 神籠石系山城外郭立地状態図

2014/08/12 18:57
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正史に記録されている山城 白村江の戦いに大敗

2014/08/12 18:56
663年の朝鮮半島の白村江(はくすきえ)の戦いは斉明女帝の戦争。

660年に百済が唐と新羅に滅ぼされた。
倭国は百済と有効関係にあった。

百済復興のために王自らが戦争に赴く(親征)
最高指揮官は中大兄皇子(後の天智天皇)
戦争に突き進み、遂に壊滅的な打撃

天智2年(663)8月の白村江の戦いに大敗。

『旧唐書』「その舟四百艘を焚き、煙焔(えんえん)天にみなぎり、海水皆な赤し」と記録されている。

戦死者の血によって海の色が真っ赤にそまったという状況描写である。
倭国の兵は三万七千人。捕虜になった兵もいます
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8世紀以前に大量兵士の海外派兵 救軍

2014/08/12 18:55
日本古代史の対外関係を考える上で重要。

 『日本書紀』は救軍(すくいのいくさ)と記す。

 百済、任那から見れば、まさに救軍。

 救軍は朝鮮三国との関係か。

 6〜7世紀に記録されている。

 倭国軍は筑紫、大宰、九州に駐留していた。

 白村江以降、海外派兵は稀になった。

 天皇が殺されても九州の兵隊は動かしてはいけない。

 荒木敏夫説(専修大学教授)
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白村江敗戦後の山城築城

2014/08/12 18:55
中大兄皇子の非常時王権

斉明女帝死去は斉明7年(661)〜中大兄皇子即位の天智7年(668)迄は大王位は空白であった。

この期間、西日本各地に多くの山城が築城された。

古代日本の防衛体制確立のための築城である。

唐国が襲ってくる恐怖。

防人

『日本書紀』天智3年(664)12月条に、

「対馬、壱岐に防人ととぶひを置き、大宰府に水城を築く」とある。
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遣唐使の派遣 2000人

2014/08/12 18:54
659年の遣唐使の拘留理由

    来年百済を攻めるので帰国させない。

天智10年(671)の遣唐使派遣人数 2,000人の意味するもの。

中大兄皇子は必死に、唐や新羅と交渉。

敗戦という不利な条件下の交渉。

天智7年(668)高句麗の滅亡。

朝鮮半島の領有に関する唐と新羅の意識のズレ

天智7年(668)9月、新羅が656年以来、倭国王に形式上の臣下の礼を持って調を持参。

高句麗滅亡後の朝鮮半島の領有権を有利にするために、倭国と手を結ぶ為の外交である。

天武5年(676)頃には、新羅が朝鮮半島統一完成。

荒木敏夫説(専修大学教授)
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黄蕨国の活躍説

2014/08/12 18:53
この時期に活躍したのが黄蕨国である。 吉備国の語源は羈縻(きび)である。
直接、唐の情報を羈縻政策により入手していた。
黄蕨国と大和朝廷とのパワーバランス。
丸谷憲二説
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女帝

2014/08/12 18:53
新羅の二人の女帝

     善徳(在位 632〜647)

     真徳(在位 647〜654)

唐の女帝 則天武后(在位 690〜705)

倭の女帝 持統天皇(在位 690〜697)

天武・持統の時代 遣唐使を派遣していない。
  
亡命百済人、高句麗系の者から情報入手。

荒木敏夫説(専修大学教授)
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完成していた山城

2014/08/12 18:52
筑前 大野城

肥前 基肄城

肥後 鞠智城

対馬 金田城

備中 鬼ノ城

豊前 御所ケ谷神籠石

記録に残る山城は完成していた。重要な場所に築城されている。

讃岐 屋嶋城跡は不明

長門 高安城も詳細不明

亀田修一説(岡山理科大学教授)
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古代山城は完成していたのか。 未完成の山城・「見せる城」

2014/08/12 18:51
豊前 唐原山城

筑前 阿志岐山城

筑前 鹿毛馬(かけのうま)神籠石

筑後 女山(ぞやま)神籠石

肥前 おつぼ山神籠石

播磨 城山(きのやま) ⇒ 城牟礼(きむれ)山か。『播磨国風土記』

周防 石城(いわき)山神籠石

讃岐 城山城跡

神籠石グループ 未完成説

土塁が見当たらない。⇒ 未完成。

   もともと見える部分しか造る気がなかったのではないか。・・・「見せる城」

   向井一雄説(古代山城研究会)
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瀬戸内型と九州型

2014/08/12 18:50
瀬戸内型

一番山の高いところを含んで、その裏側に回って低いところに水門がある。
防御正面が非常に低いところにある。

九州型

山の上に鉢巻状に土塁をめぐらしている。

大廻小廻神籠石は、瀬戸内型である。

百済にその技術の根源がある。

(坪井清足氏説)(元奈良国立文化財研究所長)

名前の分からない城 16ヶ城有り。

特徴 列石があり、城内に建物がない。 

亀田修一説(岡山理科大学教授)
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大廻小廻神籠石

2014/08/12 18:50
神籠石(こうごいし)式山城とは

九州から瀬戸内地方にみられる石垣で区画した列石遺跡。

「日本書紀」「続日本紀」に記録がない遺構でしか存在を確認できない山城。

高良神社(福岡県久留米市御井町1番地)の本殿辺りに列石の大きなものがある。

高良山には高木神(高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていた。
高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座した。
山の名前説は高牟礼から音が転じ、良字の二字をあてて「高良」山と呼ばれるようになった。
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鬼ノ城

2014/08/12 18:49
鬼ノ城築城に朝鮮半島からの渡来人を動員

   当時の日本人だけでは築城無理。

   古代の賀夜(かや)郡である。

   他地域に無い構造物を造った。

    亀田修一説(岡山理科大学教授)

鬼ノ城 (397m)

   1971年 高橋護氏 列石と水門を発見
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韓国古代城郭と倭国山城

2014/08/12 18:48
大きさが異なる。

百済地域の山城は周囲1km

草ケ部城塁 約 3.2Kmと日本の方が大きい。

6世紀に新羅の築城が多い。 朝鮮半島統一過程で築城している。

向井一雄説(古代山城研究会)
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犬墓山

2014/08/12 18:47
犬墓山より鬼ノ城を監視していた。

  丸谷憲二説 犬墓山とは和気氏を意味する。

別部の犬(『播磨国風土記』讃容郡) 鉄を生ずる「十二の谷」を発見したのが「別部の犬」である。

別部(わけべ)も部民の名である。

人でありながら犬を自称し、犬の子孫であり、鉱物を探し出す部民である。

鬼ノ城北門から見た犬墓山(443m)

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肥後 鞠智城(きくち)との関連

2014/08/12 18:46
鞠智城は、東アジア情勢が緊迫した7世紀後半に、大和朝廷が築いた山城。『続日本紀』に記載。
663年の「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷が日本列島への侵攻に備え西日本各地に築いた城の一つ。
九州を統治していた大宰府やそれを守るための大野城・基肄(きい)城に武器・食糧を補給する支援基地。
周囲の長さ3.5km、面積55haの規模をもつ城で、昭和42年度からの発掘調査により、八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡など、当時の姿を物語る貴重な遺構が相次いで発見されている。
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古代山城名の推定 菊山城 「キ」は何を意味しているのか。

2014/08/12 18:46
「播磨 城山(きのやま)・讃岐 城山城(きやま) 跡・備中 鬼ノ城山城(きの)・肥前 基肄城(きい)・肥後 鞠智城(きくち)と『キ』の付く山城が5城ある。
城・鬼・基・鞠と表記されている。

キを城とする古代朝鮮語説がある。
古代朝鮮語と称されるのは10〜15世紀に使用されていた中世の高麗語である。

瀬戸町菊山(きくやま)に注目。



 
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『日本書紀私記零本』 「姫氏国名者。倭国之名也。」

2014/08/12 18:45
『日本書紀』は平安時代に、721年〜965年の7回の講書が行われた。『日本書紀私記』は、 『日本書紀』を講した博士の私記です。

『日本書紀私記零本』に『姫氏国名者。倭国之名也。』と記録されています。

倭国が「姫氏国と呼ばれていた」という記録です。

承平度の講書(936〜943年)初見説があります。

「キ」とは呉国からの渡来人姫(キ)氏のことです。

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草ケ部 大廻小廻山城

2014/08/12 18:44
大廻小廻山城跡遠望(西側上空から)

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発見者 荒木誠一 先生

2014/08/12 18:43
荒木誠一氏

   (明治18年〜昭和11年)

  『改訂赤磐郡誌』 昭和15年発行の著者

朝鮮式山城説

白村江の戦いに失敗してより、一時朝鮮より手を引いたが、勝ち誇った高麗は、唐の援を得て、我国に侵入しはしないかと云う心配が起り、先ず大宰府を中心として、諸城を築き、第二段としては、皇居を中心として、防御を堅めたのである。

吉備真備の建議説。

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天保15年(1844年)作成 論所見取絵図

2014/08/12 18:42
岡山市沖新田の庄屋文書

藤原深蔵家文書に天保15年(1844年)作成の論所見取絵図有り。

『日本農村の基礎構造研究』 喜多村俊夫 1990年(地人書房)に大平山の野山(のさん)紛争論文

   『ふるさと再発見 草ケ部の物語』 中西厚 平成23年に収録。
   
要点

築地山は独立の峯で小廻りと呼ぶ築地の台があり、境内は大廻りとて五十余町歩もあり、其の四方に四天の仏があり区域を示していたが現在はない。
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築地山と小廻山の伝承記録

2014/08/12 18:42
天保15年(1844年)作成の論所見取絵図
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史跡指定 平成17年3月2日

2014/08/12 18:41
岡山市東区草ケ部(備前国上道郡)

  標高200mの小廻山を中心とする丘陵に占地

  城塁 約 3.2Km

  鬼ノ城と直線距離 約23Km

  備前平野の中心部 軍事交通上の要衝を占める

史跡指定 平成17年3月2日

  平成元年3月の発掘調査終了後、16年目の指定。

  写真のジクザグが国指定遺跡範囲

  城壁土塁の一つ外側まで指定。

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草ケ部 大廻小廻山城 城跡航空写真

2014/08/12 18:41
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先行研究者名

2014/08/12 18:40
長光徳和氏 (岡山県総合文化センター郷土資料室)

           古代吉備国を語る会 主催 長光徳和氏

1971年(昭和46年)4月    上道町が岡山市に合併

1973年(昭和48年)12月〜  埋蔵文化財分布調査開始


坪井清足氏(奈良国立文化財研究所長)の現場検証

文化庁  田村晃一氏 仲野浩氏

黒坂昌夫氏(古代山城研究者)の現地視察

調査員 出宮徳尚氏 乗岡実氏 調査補助員 高橋伸二氏
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利用計画・発掘調査報告

2014/08/12 18:39
1980年(昭和55年)

  地権者の高齢化による離農

  農地の転売 山林部分の処分

  地元企業による産業廃棄物処理場としての利用計画

  非公式に岡山市教育委員会へ打診有

岡山県教育委員会〜文化庁に発展

1984年(昭和59年)〜遺跡確認の発掘調査開始  5ケ年を目処に発掘調査実施

  文化財保護法第98条の2第1項による発掘

  昭和60年1月22日付 埋蔵文化財発掘通知
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小廻山付近 土塁と列石

2014/08/12 18:38
土塁と列石 土塁とは、安土、的土(あづち)とも呼ばれ、敵や動物の侵入を防ぐため、城等の環濠集落などの周囲に築かれた連続した土盛りのこと。 列石(れっせき)とは、遺構の一種で、表面のなめらかな比較的大きな河原石を並べたり、組んだりして列をつくったもの。
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列石と土塁の版築
版築とは、中国の基壇や土壁の施行方法。 玉石を敷いた上に粘土を棒で突き固めて重ねていく方法などがある。日本へは飛鳥時代に仏教建築とともに伝来した。
(北谷頭部土塁)
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一の木戸 石塁

2014/08/12 18:38
石塁 石を積み上げて作った防御用の土手。 また,それをめぐらしたとりで

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石塁の水門開口部

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築城目的の明確化

2014/08/12 18:37
発掘調査で、城郭施設、建物、防御用遮蔽設備である柵、板壁等が全く検出されなかった。

築地山は附近の山の中でも低く、なだらかな小山に土を持って築かれている。

都と大宰府を結ぶ唯一の大路である山陽道は、国外からの賓客も利用する最も重要な交通路。

山陽道の駅家は、外国使節の往来を意識して、瓦葦丹塗り白壁な建物に改修されている。

しかし、平野卓治氏説でば、実際に外国の使節が、それらの施設を利用したという記録は無く、瀬戸内海を船で航行していたらしい。

木本雅康説

高月駅家・馬屋遺跡(赤磐市馬屋)に近い。

馬屋遺跡(赤磐市馬屋)全景
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草ケ部 大廻小廻山城 黄蕨国の迎賓館(城柵官衛遺跡)説

2014/08/12 18:36
『隋書』では遣隋使開始は600年から、日本では推古15年(607年)から派遣が開始されている。

白雉年間(650〜654年)〜斉明朝には外交記事と蝦夷征伐記事が多く見える。

大廻小廻山城は、低いところに山城があり、秋田城に似ている。

秋田城は東門の外側に水洗トイレ遺構がある。

水洗トイレ遺構から日本にはない豚食をする回虫、寄生虫卵が発見されている。

秋田城の渤海使 外交の場

軍事・戦闘的施設ではなくて、城柵が国府・郡家と同様な機能を持っていた。

外交施設、賓客接待、宿泊施設である。⇒ 「城柵官衛遺跡」説。

発掘により、賓客を驚かされる施設が発見されると推定している。    丸谷憲二説
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瀬戸内に設けた宿泊施設説

2014/08/12 18:35
583(敏達天皇12)年に見える、百済から渡り来た日羅らが「児島屯倉に行き到る」に注目した。

児島屯倉とは海路に臨む迎賓施設の性格を予測させる。

「吉備児島駅館跡」と言い換えても良い施設である。

博多湾にあった迎賓館と同じように、外交使節にとって重要な瀬戸内に設けられた宿泊施設であった。

何れかの山城から、6世紀末頃の須恵器が出土し、駅館跡の姿が見えてくるならば、両者の対応関係は鮮明に浮かび上がってくる。

将来の重要な課題である。

   葛原克人説(ノートルダム清心女子大学教授)
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吉備の屯倉(みやけ)とは

2014/08/12 18:35
「屯倉」は奈良時代以前の中央の直轄地。

屯倉が置かれるところは、重要な産物の生産地や交通の要地である。

古墳時代以来の地方豪族と大和勢力とのせめぎ合いの中で、大和が勢力を確立し地方へ拠点を作ってきた。

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吉備の古代山城試論

2014/08/12 18:34
屯倉掌握国家築城説である。

山城の築城は、中央政権の発動を契機に国家そのものが主体的にかかわった。

児島屯倉を視野に入れて、分布論が展開されている。

大廻小廻山城と鬼の城とは児島屯倉を要として、扇状に配置され、三角形の分布構図をとっている。

東の大廻小廻山城と、西の鬼の城から、南の児島屯倉を監視する目的でそこに山城を築いて、一体的な軍備形態をとったに違いない。

出宮徳尚説(就実大学)
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大廻小廻山城へは 瀬戸内海から船で航行説

2014/08/12 18:33
海岸線の推定は、 弥生時代の遺跡分布と岡山南部の地盤高図などを参考とす。
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河道は現河道を示す。

○は平地で弥生遺跡の多い所。

●は古墳の位置

・・・は古代山陽道推定線

卍は古代寺院跡

緑色は古墳時代前期の山地

灰色は古墳時代前期の居住地

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瀬戸内の古代関連遺跡と 大廻小廻山城

2014/08/12 18:32
高月駅家・馬屋遺跡(赤磐市馬屋)に近いが、草ケ部の大廻小廻山城へは、瀬戸内海から砂川を船で航行していた。 丸谷憲二説

近くに国分寺と国分尼寺がある。
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備中古名 黄蕨(キハラ)とは

2014/08/12 18:31
平成20年8月5日に大井 透氏(坂出市)より、『陶山系譜』(瀬戸内海歴史民俗資料館蔵)の調査を依頼された。

  備中古名『黄蕨(きはら)』とのルビが有ります。
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  『黄蕨』の出典は、推古30年(622)成立の『先代旧事本紀大成経七十二巻本』です。

  『旧事本紀』は、『先代旧事本紀』と『神代皇代大成経』の二つから成立している。

尾張氏・物部氏等、六家の秘伝書と天皇家の内録という超古代の学問書を「一字一字変えないで写した」と言われるのは『先代旧事本紀』の部分です。

『神代皇代大成経』には、聖徳太子が補足説明として付け加えた部分や太子自身が書いた『十七条五憲法』や『予言書』、さらに太子の死後、秦河勝らの手によって加えられた部分が含まれます。
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黄蕨国を 『突厥国からの渡来人が建国』と解読

2014/08/12 18:30
吉備国の最古の表記は『黄蕨国』である。

『先代旧事本紀大成経』のみが黄蕨国の正史である。
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黄蕨国と羈縻(きび)政策説

2014/08/12 18:29
@ 羈縻(きび)とは、中国王朝による周辺の異民族への統御政策の呼称である。

漢王朝が異民族に対して何らかの積極的な関係を結ぼうとした時には、全て羈縻と言った。

漢の時代に始まり、唐の時代に最も巧みに利用された。

周辺の異民族・諸国家に対し政治的・軍事的・文化的に従属関係をつくりあげた。

A 冊封(さくほう)とは周辺民族・国家の首長に唐の官爵を与え、中国王朝の支配秩序に組み込むことである。

中国に近い友好的な国王・酋長を選び、都督・刺史・県令に任じ、彼らの統治権を唐の政治構造における官吏として行使させた。

B 羈縻が先で、冊封は後である。

C 朝貢(ちょうこう)とは、中国の皇帝に対して周辺国の君主が貢物を捧げ、これに対して皇帝側が恩賜を与える。

周辺国が貢物を捧げることを進貢(しんこう)、皇帝がその貢物を受け入れることを入貢(にゅうこう)という。

朝貢それ自体には政治的な臣属という意味はなく、冊封とは区別されている。

※ 奈良時代に風土記の撰述に際して、和銅6年(713)に下された詔勅「郡、郷名を嘉字二字を以って示せ」の目的が羈縻(きび)を隠すためである。
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突厥国からの渡来説

2014/08/12 18:28
突厥国の東西分裂は583年である。
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分裂による混乱により黄蕨国へ渡来したと考えた。

突厥国の羈縻(きび)が黄蕨国に持ち込まれた。

黄蕨国と表記された吉備国の語源は羈縻(きび)となる。

武智鉄二説では突厥国の東西分裂583年以前から突厥国から倭国への渡来ルートがあった。

同時に黄蕨国への渡来ルートも存在していた。

「テュルク(突厥国)のカガン系譜」の5人のカガン(首長)名と岡山県内地名の一致を発見した。

 @ 伊利可汗(イリグカガン)(552〜553) 伊里(いり)

 A 頡利可汗(イリカガン)(620〜630)   伊里川(いり)

 B 地頭(イリクの子)      地頭(じとう) ・地頭片山

 C バガ可汗(587〜588)   芳賀(はが)・垪和(はが)

 D 阿波可汗(アパカガン)(581〜587)阿波村(あば)
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史跡整備

2014/08/12 18:27
史跡指定

文化財保護法  昭和25年施行

文化財の定義  我国にとって歴史上又は学術上価値の高いもの

史跡指定     法的に保存されているもの。土地を指定し保存する。

土地は所有権が存在  地権者の同意と地元地権者の同意。

現状変更の制限  土地利用の制限凍結

公有化事業     保存施設の設置

遺構の復元整備  保護に向けて城内の公有地化
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歴史公園としての整備を急いで

2014/08/12 18:26
散策案内図の設置

散策コースの整備

一般市民の願い

駐車場の設置

散策案内図の設置

散策コースの整備

説明板の設置

標識等の設置を急いでほしい。

問題点

現状は一人で散策できない。
画像
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謝辞

2014/08/12 18:26
『ふるさと再発見 草ケ部の物語』の著者、中西厚氏が長年にわたり集められた『大廻小廻山城』関連資料を参考文献とさせていただきました。

中西厚氏より「歴史公園としての整備を急いでほしい。」という熱い思いをお聞きしました。

築地山常楽寺 古仁王門
画像

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参考文献-1

2014/08/12 18:24
1  『改訂 赤磐郡誌』 昭和15年 大真屋書店
2  『大廻小廻山城跡発掘調査報告書』 1989年 岡山市教育委員会
3  『鬼ノ城と大廻り小廻り』 村上幸雄 乗岡実 1999年 吉備人出版
4  『国指定記念シンポジゥム記録 大廻小廻山城跡の謎に迫る-吉備最大の古代山城-』 2006年 岡山市教育委員会
5  『鞠智城シンポジゥム2013 成果報告書 古代山城の成立と鞠智城』 平成26年 熊本県教育委員会
6  『風土記1300年記念特別展 古代官道 山陽道と駅家』平成26年 兵庫県立考古博物館
7  『大廻小廻山城跡と周辺の遺跡群』 2004年 古代吉備国を語る会211 
8  『大廻小廻山城跡』 2012年 岡山市立浮田小学校 創立120周年
9  『第4回古代山城サミット高松大会プログラム』 平成25年10月5日
10 『ふるさと再発見 草ケ部の物語』 中西厚 平成23年
11 『日本農村の基礎構造研究』 喜多村俊夫 1990年 地人書房
12 『古代山城・鬼ノ城を歩く』 村上幸雄 葛原克人 2002年 吉備人出版
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参考文献-2

2014/08/12 17:52
13 『鬼ノ城の謎を探る-鬼ノ城はいつだれがつくったのか-』 金田善敬 井原市文化財センター講座
14 『総社市の古代山城 鬼ノ城の謎を解く』 富岡昌 平成16年
15 『古代山城 鬼ノ城』 2005年 岡山県総社市教育委員会
16 『古代山城 鬼ノ城2』 2006年 岡山県総社市教育委員会
17 『鬼ノ城と吉備津神社』 2009年 岡山理科大学岡山学研究会 2009年 吉備人出版
18 『日本の遺跡42 鬼ノ城 甦る吉備の山城』 谷山雅彦 2011年 同成社
19 『鬼ノ城』 昭和55年 鬼ノ城学術調査委員会刊
20 『古代山城 鬼ノ城 展示ガイド』 平成17年 総社市教育委員会
21 『日本城郭史研究叢書 第10巻 北九州・瀬戸内の古代山城研究 』小田富士雄 昭和58年 名著出版
22 『日本城郭史研究叢書 第13巻 西日本の古代山城研究 』小田富士雄 昭和60年 名著出版
23 『シンポジウム記録4 激動の7世紀と古代山城 吉備の鉄』 2004年 考古学研究会
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参考文献-3

2014/08/12 17:50
24 『平成22年度特別展 鬼ノ城 謎の古代山城』 平成22年 岡山県立博物館
25 『先代旧事本紀大成経(一)・続神道体系 論説編』小笠原春夫校注 平成11年 神道体系編纂会
26 『吉備国の語源・黄蕨について』 吉備学会 丸谷憲二 平成20年8月24日
27 『吉備国の語源・黄蕨について-2』 黄蕨国の解析 『突厥国からの渡来者集団が建国』 吉備学会 丸谷憲二 平成20年10月26日 県立博物館
28 吉備国の語源『黄蕨』と羈縻(きび)政策 『熊山遺跡出土品』の考察 丸谷憲二 平成22年3月20日 岡山市瀬戸公民館「瀬戸町の文化財を語る会」
29 吉備国の語源『黄蕨』と羈縻(きび)丸谷憲二 平成25年4月17日 日本先史古代研究会 定期総会報告
30 『岡山県史 第三巻 古代U』 平成2年 岡山県
31 『新市町史 通史編』 2002年 新市町史編纂委員会  新市町
32 『古代朝鮮語と日本語』 金思Y 昭和49年 講談社
33 「瀬戸内の古代山城」 出宮徳尚 『新編 古代の日本 C 中国・四国』 1992 角川書店
34 「朝鮮式山城」 葛原克人 『日本の古代国家と城』 佐藤宗諄編 1994年 新人物往来社
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参考文献-4

2014/08/12 17:48
35 「日本書紀私記」 『国史大系第八巻』 昭和44年 吉川弘文館
36 「東海姫氏国考」神野志隆光 『論集上代文学第二十六冊』 万葉七曜会 2004年 笠間書院
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草ケ部 大廻り小廻り山城の考察

2014/08/12 17:43
★まずはご挨拶をどうぞ。
岡山市東区草ケ部に「大廻り小廻り山城」と呼ばれる古代山城があります。「大廻り小廻り山城」の秘密に迫ります。


★ブログを書こうと思ったきっかけは?
プログをホームページの代替に使用します。読者によりわかりやすく情報発信できるのではと考えました。

★どんなブログにしたいですか?
古代山城の名前には、「キ」のつく山城が4つあります。「キ」の隠された秘密に迫ります。

★どんな方たちに、あなたのブログを読んでもらいたいですか?
古代山城とは何か。古代山城に関心のある人たちに訪問してほしいと思います。

★最後に一言!
みんな、みてみて。

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